のんびり鉄道紀行

カメラを持ってふらふら鉄道旅をした記録を綴っています

東北本線の旅 ~小牛田駅編~

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旅をしていると目的地でも無かった場所で予想外に楽しい出来事にめぐり合える事がある。
待合室で地元のおじさんと仲良くなったり、思わぬ名産を見つけたり。
実際の足で偶然の出会いが広がることも鉄道の旅の良さでもあるのだ。

今回降り立った小牛田駅でも予想外にユニークな出来事があった。



次の列車の接続まで40分ほどある。
外は先ほど雨が上がったばかりなのか道に水溜りがいくつも出来ており、おまけに今にも日が暮れそうな天気の上 いつも以上に冷え込んでいた。

これはあまり遠くまで行けそうにないな。待合で応急処置の様にもならないホットココアを飲みながら窓を眺めていると 黄色の看板に黒字で「まんじゅう」と書かれた一際目立つ看板が目に入った。
せっかく時間もあることだし このままじっと座っておくのも何なので、とりあえず看板の方向へ歩いてみることに。

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前まで足を運んでみると民家の様な立派な建物が建っている。
家を改築した様な造りになっているが〝まんじゅう〟と必要以上にアピールされた旗がいくつも立っているので 紛れも無くここがお店なのであろう。

少し緊張した赴きで昔ながらガラス扉をスライドさせガラガラと音を鳴らして入ると、シンプルに〝まんじゅう〟しかないショーケースのみが目の前に現れた。あくまで家は「まんじゅう屋」と言わんばかりの徹底ぶりである。


「いらっしゃいませ」
奥から家の持ち主だと思われる おばさんがゆっくりと入ってきた。
いや、おばさんと表現するのは失礼なほどスラっとした体系をしているのだが、顔つきはどこか穏やかでそこが東北感をより一層増幅させる。





再びショーケースへ視線を戻すと、どうやら〝まんじゅう〟でも二種類あるらしい。
こしあんが入ったシンプルな「山の神まんじゅう」と大豆角が塗りこんである「子持ちまんじゅう」。

どちらも美味しそうではあるが、生憎子供を授かる予定もパートナーが出来るキッカケすら無いので 何故か勝手に自己不信に陥って「山の神まんじゅうを下さい。。。」とボソッと呟く様に注文するのであった。
思春期など とっくに通り越したはずであるのに無駄な自意識過剰具合は収まる余地が無い。


〝まんじゅう〟を受け取り、店を出ようとすると気になるプレートに視界を奪われた。


「鯉の餌あります(無料)」

なんと、鯉なんて来る途中に目にかすりもしなかったのだが、どこにいたのか。
気になっておばちゃんに尋ねてみると、駅から続いている表通りの水路の中で泳いでいるとのこと。
これは、せっかく無料なのだから あげてみるかという事で餌も頂き、さっそく水路まで駆け足で向かってみる。




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水の中を覗いてみると確かにそこには何匹も鯉がゆらゆらと泳いでいた。
貰った餌を取り出し、ためしに放り投げてみると、一匹が注意深く近づきやがてパクッと吸い込むように口に入れる。


一匹が食べ始めると、何匹も寄って奪い合うように食べ始めるので 面白くなってわざと遠い方向に餌をやったり、集団で食べづらそうになる様にまとまって大量に餌を投げるなど、ちょっとした意地悪をしてみたりする。筆者は性格が悪いのだ。しばらく餌やりをしていると、一匹だけ美しい白地に赤い模様を着物のように纏った錦鯉もやって来た。
きっと、こやつがボスに違いない。


お腹が減っているんだろ?と自信満々に餌を投げてみるが まったく反応せずにスーっと奥の水路へ泳いでいく。何度も餌を入れ込み顔の近くに落としても完璧スルー。
ボスは簡単には釣られないようだ。






どことなく鯉相手に悔しさがこみ上げていき、勝負をしているかのように餌をやっていると「ドボン!」と嫌な音がした。とてつもなくこれは嫌な音だ。

ゆっくり音の方向へ視線を移すと、スマホがものの見事に水の中へ落下していたのだ。
慌てて裾をめくらぬまま、手を突っ込み引き上げてハンカチで水滴を拭く。
旅の初日に携帯ショップのお守りになるなど まっぴら御免である。



恐る恐る画面に触れると、幸いにもスマホは何事も無く反応してくれたのでホッと息を撫で下ろした。
鯉の祟りか。間違いなく確信した瞬間である。

弱い動物だからと侮ってからといって かったりしてはいけないのだ。
申し訳なさの意味も込めて、多くの鯉が食べれるように均等に全ての餌をまいてやると 時間も時間なので大人しく駅へ引き返すことにした。




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鉄道の中で先ほど買った「山の神まんじゅう」を開けてみる。
小ぶりなのに手に乗せるとズッシリと重く、かじってみると あんこが口の中いっぱいに広がる。
どこかモッチリとして薄皮も絶品である。

先ほど服ごと濡れた腕がスースーと冷たいが そんな事すら気にならないほど、ほんのりと甘いt〝まんじゅう〟は心の中を暖めてくれた。

石巻線の旅 ~女川駅編~


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時刻表の路線図を眺めていると、よく面白い駅名に出会うことがある。
読めない漢字であったり、どうしてこういった名前なのかと首を傾げたくなる様なヘンテコなものまで 日本の駅のネーミングはユニークなものが多い。

ネットが恐ろしく発達している世の中なので、入力すれば一発で分かるのだが、それでは何だか味気ない。
現地に行って自分の目でその姿を納めるまで色々想像している時間すらも楽しいものだ。


今回訪れた「女川」駅もその1つである。
女に川と書いて〝おんながわ〟ではなく〝おながわ〟と読む。
海女さんで有名な場所にあるのだろうか。はたまた女性受けしやすい様な小奇麗な駅なのか。
筆者は女川のここ2、3年の情報を知るまで こんな事をのん気に考えていたのである。



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松尾芭蕉の俳句でよく知られる松島の海を線路ギリギリでキハ110系が走り抜けていく。

まるで水面の上を走っているかのような錯覚にとられる程、多く静かに広大な海に思わずうっとりとしてしまう。
それまで意味の分からないと思っていた あの有名な俳句「ああ松島や、、、」と松尾芭蕉が言葉を無くして繰り返し呟いたのも納得が出来る。
松島や。ああ松島や。。。。


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女川まで運んでくれたキハ110系にも松尾芭蕉の紀行文のタイトルである「おくのほそ道」を漢字に書き換えてデザインされている。

おそらく彼になったつもりで この路線を旅して貰いたい というメッセージなのでは?と予想するが 先ほど「ああ松島や、、、」とぼそっと声に漏らしてしまったばかりなので このデザインを見るなり「あ、はい松尾芭蕉になりました」としか言いようが無い。
何せ、それくらい松島の海は美しかったのだから。



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女川駅へ降り立つとそこに想像以上に大きく綺麗な木造の立派は駅舎が建っていた。

実は女川は震災で駅が全破壊した場所として有名なのだが、2015年の3月に復興のシンボルとして総工費8億円をかけて建設されたそうだ。
駅をすぐ出た正面には無料の足湯。2階には温泉施設「ゆぽっぽ」なども設けられており、旅で疲れた体をゆっくり癒す事ができる。

冒頭で想像していた様に偶然にも再建設した女川駅は女性にも受け、小奇麗な駅として生まれ変わっていたのだ。




規模は小さいが駅からまっすぐ伸びた広場には洒落たアーケード施設が何件か経っていた。
観光者は、ここで食事や休息をのんびり取ることも出来る。

筆者は事前に獲れたての魚を調理してくれる食堂が存在するという情報を耳にしていたので アーケードをつき抜け漁港へと向かう。
海は目の前に広がり漁業施設の工場も確認できる。
しかし、、、いくら歩いてもその場所に着かないのだ。


それもその筈、道路の整備はまだ不完全であり 駅周辺以外は、ほぼ更地になので工事の策などが張り巡らされている。歩いても歩いてもまるで迷路のように行き止まりが多く、他の道を探すという作業をして小1時間かせ経った頃、大回りをして漁港に出る道をようやく見つけた。

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やっとの思いで到着した漁港には目当ての店は結局発見出来なかったものの ただ丁度雲から覗かせた太陽に照らされた海の美しさに またもや息を呑んだ。
おそらくこの景色はアーケード周辺をうろついているだけでは目にだけない風景だろう。

ひんやりとした風は透き通ったように目を閉じて 肺いっぱい吸い込むと、むしろ海鮮よりもこの空気を味わいに来たのかとさえ思ってくる。 

冬だというのに顔に大量に掻いた汗をぬぐいながら 私は「女川や。ああ女川や。」と呟くのであった。





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石巻線の旅 ~石巻駅編~




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東北を訪れたのは6年ぶりの歳月が過ぎていた。


震災があって1年半後、高校卒業を目前に控えた頃、画面を通してではなく自分の目でその状況を見てみたいという事がキッカケで「東北ボランティア バスツアー」に参加したのが筆者が始めて東北を訪れた日。

あれから何年も時間が経ち、テレビでさえ放送される回数も減り「あの街はどうなっているのだろう」と今度は自分1人の力で東北へ訪れてみた。





仙台まで新幹線を乗り、仙台東北ライン経由で始めて降り立った駅は石巻駅。
石巻サイボーグ009キカイダーなどで知られるSF漫画家 石ノ森章太郎氏のゆかりの地として知られ、町全体を通してキャラクターのモニュメントが多く設置されたいる。


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外へ出てみると早速仮面ライダー1号と009の人形がお出迎えしてくれた。
石巻はこうして通称ヒーローが守る駅と呼ばれているのだ。

駅からは、記念館である「石ノ森萬画館」までの道筋は「いしのまきマンガロード」とまで名付けられている。

張り詰めた思いを胸に訪れてみただけにキャラクターで賑わいを見せる街に少し拍子抜けをしてしまったが これはこれで旅の始まりとしては面白い。
他にもモニュメントは無いか 駅をぐるっと見渡そうと試みるが、そんな探索も必要が無いと言わんばかりにキャラクターの人形で溢れていた。



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キャラクターで賑わいを見せる街という事は分かったので 今度は町全体を散策してみる。
昔読んだ鉄道の本では商店街などが並び、散歩をするには困らない と認識をしていたが、歩いても歩いてもその商店街は姿を現さない。

駅から数メートル離れた場所で低い建物や民家などが数件あるのみでどことなく寂しい風景だ。
写真で見たアーケードの屋根すらも消し、大きなイオンがあるのみとなっている。

後ほど調べたところによると 陸前高田地区には及ばないが、町全体は津波により建物の半分まで水で埋め尽くされ、他の建築物も地震の影響で撤去してしまった物も多かったそうだ。
まさか、これ程まで姿を変えるとは。。。



1時間余裕を見ていただけにぐるっと周辺を歩いたのみで結局15分ほどで駅へ戻ってしまった。

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次の列車が来るまでの時間をマンガカフェ「えき」で過ごす。


店内は洒落たカップや手作りのお菓子、ケーキなどが陳列されている。この日は女性の店員さん3名で営業されていた。
メニューを見ると石巻ブレンドや伊達ブレンドからグアテマラなど有名豆を焙煎した珈琲などがある。

筆者は石巻ブレンドを注文。
口に注ぐと酸味が利いたすっきりとした味わいだ。
「えき」は構内と隣接もしているので ギリギリまでゆっくりくつろぐ事もできる。



ふと、駅の方の窓へ目をやるとキカイダーなどが書かれた石がその姿を覗かせた。

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楽しいキャラクターのモニュメントで賑わっている様にも見えるが想像していたより震災の影響は街に大きく響いている。
石ノ森章太郎氏も復興への想いを綴った垂れ幕がイオンに提げられていた。

この先は更に海沿いへと移動を進めていく。
改めて気持ちを引き締め筆者、列車に乗り込んだ。

沖縄県 ゆいレールの旅


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モノレールは電車の仲間である。

その事を筆者が知ったのは恥ずかしい話、つい最近のことであり それからモノレールに対する見方が変わった様な気がする。
あのモノレール独特の特徴でもある一本のレールをヌメっとした走行がどうも苦手であり、避ける傾向があった私が自分の意思で「このモノレールには乗ってもいいかな」と興味をそそられたのが 沖縄県ゆいレールである。


理由としては2つ。ゆいレールには、日本最南端の駅と日本最西端の駅の両方が存在する。
そして面白い事に この2駅は同士なのだ。

以前、和歌山を旅したときに本州最南端の駅である串本を旅するのに 壮絶な苦労したというのに こんなにも手軽に制覇できるとは、、、複雑な気持ちではあったが これは是非乗車しなれけば。
半分、使命感の様なものに駆られながら 沖縄那覇空港駅の始発駅は向かった。






ガラスに覆われた洗練された建築物。モノレールの駅はどれも近未来的だが どこか懐かしい沖縄らしさが残る駅舎である。



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改札へと足を進めると、すぐさま目的のものが姿を現す。
そう。日本最西端の駅は この那覇空港駅だったのだ。まだモノレール本体すらも見ていないが 1つ目の駅を制覇する。何とも不思議な気持ちである。。。



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ゆいレールがやつて来た。
白をベースに黒と赤でカラーリングされた車体は中々格好がいい。
ゆりかもめの様に窓は大きいものでは無いが 細かい感覚で配置されているので景色は途切れながらだが全体を見れるようになっている。


この日は1月年明け真っ盛りの観光シーズンだった事もあるか車内は混み合っていた。
人と人の隙間から顔を出し、やっとの思いで窓の方へ顔を向けると 空が当たり一面に広がり、下には四角いシンプルなコンクリートの建物がズラッと並んでいる。沖縄の建物はほとんど低いものばかりなので これはこれで絶景な景色である。




終点の首里に向けてモノレールは徐々に高台へ登っていく。
そうすると 今まで建物で隠れていた海も姿を現し、今まで通ってきた町並み全体が見下ろせる様になるのだ。
このため、 もし上りから ゆいレールに乗るのであけば車両2両目1番後ろを強くオススメしたい。





終点首里駅に到着し、その後 国際道りが面する県庁前駅と途中下車をしてフラフラと散歩をしてみるが 中々面白かったのが国際道りの牧志駅付近に立っている「国際通り屋台村」。

ここでは沖縄の名物料理を中心とした料理から泡盛オリオンビールという特産の酒まで リーズナブルな金額の飲み食いすることが出来る。


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筆者は上の画像の店で泡盛の古酒(クーシュ)。プチプチとした弾ける食管が癖になる海ぶどう。落花生をベースにもっちりとした味わいのジーマミ豆腐。ゴーヤの代わりに くるま麩で炒められた ふーちゃんぷるを頂いた。

青空の下の元でBGMである沖縄民謡を耳にしながら酒を飲めるなんて この上ない贅沢である。
変にどこかへと観光するよりも ここで酒とツマミを頬張っている方が少なくとも筆者は沖縄感を満喫できるのではないだろうか。




上機嫌で駅へ戻ると最後の目的の場所へと向かう。


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日本最南端である赤嶺駅の石碑。
元々下車する観光客も少ないながらにも ひっそりと立っている。

余談だが元々沖縄には戦前に沖縄営鉄道という立派な鉄道があったのだ。
それが気候の問題、アメリカ軍政下の意見やマイカーが発達など時代の背景からその復活は果たされず ゆいレールが出来るまでは鹿児島の指宿枕崎線の西大山駅が日本最南端駅であった。


確かに沖縄空港駅の石碑と比べれば、誰も写真を撮る者はいないが 取り戻したかと言わんばかりに力強く刻まれた文字がずっとその場に立ってみていたい気持ちを掻き立たされる。




ちなみに駅から降りなくても写真が撮れる様に構内には 最南端の証明書をぶら下げた駅員のパネルが立っているので撮影することも出来る。

だが、時間があるのであれば 是非駅を降りて石碑を見に行ってみた方がいい。
薄っぺらい紙やパネルよりも重く深く刻まれた石碑を目にすることで ゆいレールに乗ってよかったと言う気持ちを改めて倍増できるはずだ。



銚子電鉄の旅 ~犬吠埼駅編~



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散々歩き回った後に乗り込む列車の揺れは何とも心地よい。


本日2回目乗車する車内は行きのツアー団体の姿は煙のように消え、空席よりも乗車客の方を数えた早いくらいだった。これが本来の銚子電鉄の姿なのだろう。








窓の外を眺めていると、過ぎ行く駅の中に一際気になる駅があった。

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海鹿島駅 関東最東端の駅」と記載されている。
中々ユニークな駅名に並んで関最東端とは、、、これは降りてみたい。



思わず衝動に駆られそうになるが当然日没が迫っているのその選択肢を選ぶ事は出来ない。
残念無念とは、こういう時に使うものなのかと心底思う。










目的地の犬吠埼駅に着いた頃には15時を回っていた。


早速灯台へ向かおうとすると二手途中道が別れている。
車道と歩道が一緒になった上の道と草が掻き分けられているのみで道らしからぬ下の道。
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大人になっても旅人の心には冒険心が溢れ出ているものである。

迷わず下道を勢いよく駆け降りると磯の香りが立ち上って来るかの様に鼻を刺激する。波しぶきを激しく荒げた海があった。



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ちょうど西日が照り返し眩しい程に反射した水面の美しさに思わずため息が漏れる。









灯台の方へ再び視線を戻すと細道がそこに向かって延びているのだが よく見ると道がビショビショなのである。


しばらく首を傾げてその様子を見てみると 一瞬の内に波が勢いよく高く上がり道を呑み込むという光景が目の前で起きたのだった。


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、、、ああ。一歩間違えるの今日のために買った新品のカメラも冬の海で歩き回る体も一貫の終わりなのだ と悟り、先程までの笑みが消えていく。






タイミングを見計らいながら慎重に足を進め猛ダッシュして一気に走り抜けて行った。
何というスリリングな体験なのだろう。


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途中地下道の様なトンネルを抜けたりと探求心を刺激するような仕掛けに心臓の高鳴りを感じる。





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やっとの事でたどり着いた真っ白な灯台は夕日に照らされオレンジ色へと変わっていた。


丁寧に塗装され手入れをされていると思われる階段を足早に上りきると 町全体が茜色へ染まった犬吠埼の町が一望できる。







先程の荒々しい海は嘘のように穏やかな姿に見える。
町全体も日没間近という事もありどこさノスタルジックな雰囲気を醸し出す。



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この絶景を見るために遥々銚子までやって来たのだ。

冬の風の冷たさなど忘れたかの様に しばらく日か沈むまで立ち尽くしていた。

銚子電鉄の旅 ~観音駅編~


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銚子電鉄には魅力的な駅が沢山ある。

関東のローカル線と言えども列車は1時間に1本しか来ないので、当初の予定では時間節約のため仲ノ町~観音~本銚子と徒歩で行くはずであった。





しかし、日常的に身に付いた習慣を改善するのは難しい。案の定筆者が瞼を擦りながら遅れて現地へ到着した時には既に13時を回っていた。
冬の午後から始める乗り鉄は厳しい。


仕方なく古い車両たちが眠る仲ノ町、車庫見学を泣く泣く断念する。
惜しむ気持ちが後退りするが、そうとなると次へ下車するべき場所は観音駅だ。







観音駅では、かつて駅員が一斗缶を利用して作った「ちりとり」の販売をしていたそうだが 「およげ!たいやきくん」のブームにちなんで同年から駅舎の中で「たいやき」を販売している。


時計が気になるが 最もこの世で好きな食べ物は、たいやきと豪語してもいいくらい目がない筆者は車庫は諦められても たいやきとなれば話は別だ。





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ホームを降りて駅舎の入り口へ向かうと、自然と構内に同化する様にその店はあった。
地元を基盤としているであろう、おばちゃん二人組で営業をしてる模様。



壁に貼られたメニューの中にはたい焼き以外にもたこ焼き。ぬれ煎餅等も売られている様だが ここは迷わずにたい焼きを選びたい。





味もいくつかあるがオーソドックスである小倉と新発売のお好み焼き味を選んだ。
試しに店の向かいにあるベンチで一口食べてみるとインスタントな見た目とは裏腹に卵黄が色濃く残り、ほんのり甘くもっちりとした皮にほどよい量の小倉が詰まっている。

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美味しい。予想以上に美味しかった。

近頃、東京のたい焼きを屋はやたらとパリッとした薄皮を好むが このふんわりとした食感も見習って欲しいところだ。






そんな事を思いながら勢いよく口に頬張っていると 先程の売店のおばちゃんの目が合い微笑んでくれた。

さぞかしお腹が空いていた様に見えたのだろう。
少しむず痒くなった気持ちを押さえながらうつ向き加減で駅を後にした。






さて、どの道を行けばいいのか。

自分の持っている最大限の大まかな方向感覚を頼りに歩き出した。






民家の並んだ道へ入ると、辺り一面にはキャベツ畑が広がっていた。銚子では冬季から春先にかけてキャベツが多く栽培される事で有名なのだ。

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左を見てもキャベツ。右を見てもキャベツ。行く手の遥か先までキャベツ。

噂には聞いていたが、こんなにも青々としていると清々しい気持ちになってくる。






しばらくの間、窮屈な都会からの開放感に酔いしれ軽快に足を進めていたが歩いても歩いても一向に駅が見える気配が無い。


はて。こんなに距離があったかな。

旅にはトラブルが付き物であるが今回は時間も限られているため そうのんびりと対処していられない。







やっとのことで交通の多い道に出た頃には、一目散に最初目に入った通りがかりのおばちゃんに道を聞いていた。


どうやら出発した観音駅へ戻る様にぐるっと回って来てしまったらしい。どおりで果てしなくキャベツ畑が続くわけだ。

幸いにも、行き先の途中だと言う事で観音駅まで同行して送ってもらうことに。








おばちゃんは実家が観音にあるため、たまたま足腰の弱くなった ご両親の代わりに買い物にして帰る途中だった という事らしい。


「たくさん歩いて大変だったねェ。本銚子には山1つ越えて歩かないと着かないわよ。」

いかに銚子の町が想像以上に複雑で距離があるかを知った瞬間だったが もう遅すぎる。








おばちゃんにお礼を言って観音駅に入ると ちょうど到着時刻の3分前であった。


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もうすぐ、日が落ちてしまう。
次へ向かう選択肢は、もう“あそこ”しか残されていなかった。

銚子電鉄の旅 ~銚子駅編~



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季節は11月。海沿いの陽気さを誘う風もさすがにこの季節になればたちまち北風へと変わる。



旧日本軍の格納庫を利用したという説の銚子駅は天井が高いのが特徴的だが、屋根もなければホームの端に追いやられるかの様にポツンともう1つの銚子駅が建っていた。


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潮風にさらされ寂れた古めかしい木造の駅舎。中を潜るとガラスのショーケースにかつて流行ったであろう玩具やアニメのポスター等が飾られている。

先程の賑わいを見せていたJRのホームと数歩進むだけでタイムスリップさせられた様な気持ちだ。








銚子電鉄脱線事故や経営危機などのいくつもの苦難を地元の名産である「ぬれ煎餅」で乗り越えた私鉄だ。

現在は全国の鉄道ショップや通信販売も行い生計を保っているそうだが はたしてこの先は大丈夫なのであろうか。と余計な心配をほぼ無人に等しいホームを見渡しながら思う。







そんな事を考えながら列車を待っているとぞろぞろと後方からご年配のツアー集団がやって来た。

「小さい駅だねー」「全員入るのか?」

様々な声が飛び交う中、先程まで閑散としていたホームがあっという間に埋まりローカル線と呼ぶには躊躇われる程の奇妙な光景となった。


なるほど。銚子電鉄は観光客向けにツアー事業なども積極的に取り組んでいるらしい。







そこへ、これはまた古い車両がゆっくりと入線した。デハ2002編成湘南顔。

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国鉄の名車は旧銚子電鉄復刻カラーとして80年代の面影を残しつつ今尚、活躍している。

渋めのツートーンカラーが何とも言えない哀愁を放っていてカッコイイ。







只でさえ小さな二両編成の列車に窮屈過ぎる程の人々が乗車していく。この車両には広すぎる位のロングシートが全て埋まる頃、参加していた年配の女性と目が合い筆者へ話しかけた。


「もう学校は終わったの?」

「、、、えっ?」








明らかに子どもに話しかけるような優しい口調だったので一瞬、高校生に思われいるのか。はたまた大学生なのか戸惑ってしまったが 咄嗟に出た一言が


「、、お、大人です。。。」

 

自分でも口にした後に、他に上手い返答は無かったのか思わず顔がひきつったが




「あら、、、まぁ。お若いのね。」と 明らかに対処の仕方に困った笑みを浮かべながら二人の間に沈黙が流れる。





今日の銚子電鉄はいつもより様々な思いを運んで走るのだろう。
ぼんやりと遠くを見つめていると 静かにその列車は発車を始める。