のんびり鉄道紀行

カメラを持ってふらふら鉄道旅をした記録を綴っています

BRTの旅 ~陸前高田駅編~


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私はバスやタクシーが嫌いである。

いきなり否定文から入ってしまうのは良くない事だが、理由はあの車内独特な臭いから来る乗り物酔いだ。
幼い頃の筆者は、酔いやすかったため、どうも電車以外の乗り物は好きになれず いつも曇った顔でぼーっと車窓を見つめては「早く目的地に着かないかな。。。」胸を擦りながら必死に祈ってる様な子供であった。


今でも長時間バスに乗る事は苦手だが、今回の旅ではこれほど嫌いなバスでも切なさで胸を込み上げられる事になる。





気仙沼宿泊後 さっそく早朝から冷たくも眩しいほど煌びやかな日差し照らされながら民宿を出た後 駅からBRTに使っての移動が始まる。
BRTとは、「Bus Rapid Transit」の略であり、日本語に訳すと「バス高速輸送システム」となる。
バス専用道路を確保することで 通常よりも高速による移動が可能となり時間通りの配分でルートを回ることを可能にしたシステムだ。
発信元はブラジルだが 日本でも廃線となった鹿島鉄道代行バス「かしてつバス」が国道の渋滞を回避するためにその廃線跡をバス専用道として利用している。


しかし、この気仙沼線 柳津・気仙沼間、大船渡線 気仙沼・盛間 津波による震災により線路が破損してしまったため 元々あった線路を埋め立て全てBRTシステムへと変貌を遂げることになる。
そのおかげで早期・低コストによる交通機関の復旧を可能としたが 始め鉄道会社の方たちどういう決心でこの選択を選んだと思うと胸がキリキリと痛む。



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ホームから既に道路となり、車掌の服をまとった運転手。いや現在はバスの運転手と名の車掌が席に座っていた。
BRTになって3年の月日が流れたからか乗車客たちは当たり前のように乗り込んでいくが 道を進んでいくにつれ徐々に筆者は複雑な心境になっていく。
線路だったはずの道が道路となり、いくつもあるトンネルをバスが通り抜け、踏み切りの中もバスは進んでいく。
実際に乗った経験は無かったが気仙沼線の過去の姿を想像して窓へと目を向ける。
だが、いくらイメージしてみても現実に再生されることは無く バスはぐんぐんと進んでいく。時は止まってはくれない。





いくつか駅を通り過ぎ 陸前高田駅に到着する。
高校卒業前の三年前に来た以来の地だ。この東北の旅の目的であり1番来てみたかった場所である。
バスを後にし進んでいくが周りに建物はなく、風が魔物のように容赦なく吹き狂い進むのもあまりの寒さに困難なほどだ。
駅の近くにある唯一のコンビニであるセブンで防寒具を揃え、やっとの事で町全体を見渡せる場所まで来たが、そこから見えた風景は更地にシャベルカーがぽつぽつと停まっているだけで風景だったのだ。
思っていたよりも衝撃的だった。何せ東京では悠々と節電などという言葉は消え当たり前のように過ごしているのに 直接震災を受けた街は、ほぼ変わっていなかったのだから。

瓦礫で街を歩けない状態からは進歩したかもしれないが、少しでも復旧して数件建物くらいは建っているだろうという考えは見事に打ちのめされ 言葉も出なかった。街を一から作り直すという事はこんなにも時間と費用を要する。





そして、散策の時間を2時間確保していたのにも関わらず寒さと距離からは その更地に行く事も出来ず、周辺の民家を歩き回ってもどこも喫茶店は10時開店だったりするので はやくも心が折れ途方にくれてしまった。
寒さと思っても無かった光景に疲労を覚えながらフラフラと自然と足が向かった先は陸前高田駅。情けなさを感じながらも帰って来てしまったのだ。皮肉にも写真も一枚も撮っていなかった。

数十分の間、寒さで悴んだ体を温めているとバスが到着。車内に入ると年末年始のシーズンだからかクリスマス使用の飾りつけがされてあった。
まさかの思ってもいないサプライズにジンワリ心が温かくなる。


ただ現地に訪れただけで何も出来なかったが、まるで「そんなに落ち込むなよ」言わんばかりにバスに揺られて行く。


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そう、これで肩を落としてしまっては現地で頑張っている街の方たちにむしろ失礼だ。
筆者は、こうして嫌いだったBRTに慰められながら 初のバス旅は幕を閉じた。